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インタビュー


Noh Jesu氏への「スペシャル・インタビュー」


Q:小さい頃はどんな子供でしたか?

A:そうですね。質問はとにかく大好きでした。何をみても疑問に思ったものです。 ですから、普通の人がしない質問を考えては大人を困らせていましたよ。 先生もさぞかし大変だっただろうと思います。

特に、武術を追究する中では、小さい頃からあった様々な疑問が湧き上がりました。 「力はどこからくるのか?」「スピードとは?」「変化とは?」「移動とは?」 その他にも、自然現象・社会現象・心理現象や目に見えるすべての現象がなぜ起こるのか…。そのすべての原因が知りたかったんです。

「光がどうやってできて、どこへいくの?」「風はどうやってできるの?」「自分との関係性は?」 「なぜ人間の目は2つ、鼻は1つ、口は1つ、耳が2つ?指はなぜ5本?髪は伸びて眉毛が伸びないのはなぜ?」 「なぜ水は下に、火は上にいくの?」などなど…。

ですから、答えを探しては、これは!と思う人に会いにいき、質問攻めにしていました。でも、結局納得できる答えは得られません。 ですから、自分で探すしかないと気付いたんです。

Q:武術をはじめたきっかけはなんですか?

A:武術を始めたきっかけは母でした。私は、子供時代は色白で女の子のようにカワイイといわれていたんですよ。 それでお姉さんの友達にほっぺたを触られたりして・・・。でもやっぱり男の子ですからね。5年生の時、 母に「男の子だから」と武術を勧められたんです。その後20年間没頭しました。

Q:お母様はどんな方ですか?

A:母は信仰心の厚い仏教徒で愛に溢れている人なんです。 驚いたことに、手で病気を治せるんですよ。それで、無償でたくさんの人の病気を治したり、相談にのったりしていましたね。 とにかく、周囲からの信頼はとても厚い人です。そんな愛溢れる、意志の強い母を尊敬していますし、母には大きな影響を受けました。

Q:武術のトレーニング方法がユニークだったそうですね?

A:はい、自己修練トレーニングも大好きで、家にたくさんトレーニングの仕掛けをかけたりしました。 クリアしないと玄関から自分の部屋にたどり着けないようにしたんです。他にも、授業中は空気イスをして鍛えたり、 電車では一本足でバランス感覚を身につけたり、と日常でもトレーニング三昧でしたよ。

そうして鍛えていくうちに、このまま運動を続ければ“死なない!”と思ってしまうくらい、健康に対する自信は無限大になりました。 ノートに「私は死なない!」と書いちゃったほどですからね。(笑)しかし、その道のりは容易いものではありませんでした。3度死ぬ思いをしたこともあるんですよ。

Q:武術を通して何か変わったことはありましたか?

A:そうですね。武術の追究で精神修練、呼吸法などをするうちに、夢か現実かわからないような様々な超常体験もしてしまいました。 木になってしまったり、20分間息を吸ったままだったり、イメージでお腹が海のように広がったり。

その経験をロジックで伝達して共感・共有できなければ…と思いました。そのためには、究極のロジックを追究しなければ…とも思いましたね。 そして28歳の時です。“全体とひとつ、すべてがひとつ”であることを体感したのです。そのときは、感動の涙を3時間流し、 すべてが素晴らしく美しく見えました。それから一週間、内面からの笑いが続いたんですよ。

Q:大学では何を学ばれたのですか?

A:大学では生物学、大学院では環境工学を学びました。 その後は博士課程を修めるために日本へ行くことにしたのです。当時は、マルクス・レーニン主義の西洋文明の学生運動が主流な時代でした。 ですが、私は東洋の精神を出発にもった東洋のルネッサンスを創りたいと思ったんです。

ですから学生運動をする人たちとディスカッションをしました。 「今のマルクス主義の流れを受けた学生運動は暴力的で、民族の魂に合わない!」と。 そんな時、学生運動をしていた友人が焼身投身自殺をしてしまったんです。それがきっかけとなり、 さらに学生運動や、政治についての追究を真剣にするようになりました。

Q:なぜ、教育関連の仕事を選ばれたのですか?

A:現在の教育に限界を感じていたのです。そこで、幼児教育関連の公文学習塾の経営や、その他6つの組織を掛け持ちし、 そのほかに200人の生徒を抱える道場も経営しました。塾では教えるのが上手と評判よかったですよ(笑) ありがたいことに、生徒数は韓国トップになりました。道場でも太極拳全国2位の選手を育てることができて・・・。

しかしあまりの忙しさに人間らしい生活もできなくなり追究していた世界も忘れ 去ってしまうほどでした。そこで思ったんです。「このままではダメだ」と。 お金中心の経営に問題を感じて、本社の社長とも衝突してしまいました。“人生とはこんなことではないはずだ”と思い、 すべてを兄弟などに譲り、日本の福岡へと行くことにしたのです。

Q:HITOTSU学はどうやって生まれたのですか?

A:日本で新しい生活を始めた時、人生最大の障壁がおとずれました。今まで築き上げてきたものすべてを一気に失ってしまったのです。 韓国で人に譲った事業もうまくいかず倒産し、国に帰ることもできません。当時は日本語もできなし、友人もいない状態でした。 それで、ストレスから体を壊し、歯茎が溶けて頬も腫上がってしまいました。自殺しか考えられずに、苦しくて呼吸もできませんでした。 ですから、死ぬ気で自分のことを考えないようにする為に、呼吸とメディテーションだけに集中することにしたのです。

そこでついに、HITOTSU学の原点となる、大きな気づきと出会ったんです! 1996年3月1日、33歳のときでした。私は長時間、光のチューブに入ったのです。 その体験から、すべての自然現象・社会現象・心理現象・歴史文化現象の説明、 世の中の問題と根本原因の解決方法など、すべての“なぜ”がわかるようになったのです。

しかし疑いました…。これは主観的な思考なのではないかと。それで、 今まで学んだすべての学問を あらゆる角度から整理してみることにしたのです。するとすべてがつながり、どの角度からも、どの分野からも全部を説明できたのです。

これは、自分の為にきたものではない、と思いました。

すべてのものと共有し、応用して問題解決をしていくために、今この時代にきたものだと思ったのです。 それからは、どうすれば100%明確に理解し、共有できるのかを追究する日々が現在まで続いています。 そうして究極のロジックとイメージを持つHITOTSU学を誕生させることができ、そこに人生の全てを懸けた勝負をしているのです。


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