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第4章 意識の根源


人間とは何なのか

「私」あるいは「人間」というときにイメージするのは、この身体でしょうか? それとも心でしょうか? いったい何を指して「私」「自分」と思うのでしょう。

人間とは何かを考えるときには、身体、心、脳、DNA、魂など、幾つかの観点があると思いますが、 科学はどこまで解明できたのでしょうか?

まず「身体」ですが、人間の肉体を構成する細胞や分子などの物質は、およそ1年でその殆どが入れ替わってしまいます。 脳、筋肉、皮膚、血液などは1年もあれば、ほぼすべての成分が食べて消化した物質と入れ替わり、 最も置換の遅い骨も成人は2.5年で入れ替わってしまいます。

「心臓」や「脳」も臓器なので、身体の細胞が入れ替わるのと同じように、1年間に飲んだり食べたりして 消化されたエネルギーや物質に置き換わっていきます。特に、脳の入れ替わりが早い成分は、 毎月40%も置換されて行くので、意識があると思われている脳内の前頭葉や記憶を司る海馬、 認識を司る視床下部などの細胞も、物質的には昨年と全く違うものになっており、 その情報だけが引き継がれているという事実があります。

「DNA」も同様に4つの塩基からなる物質の集合なので、1年間でまったく違う物質に交替し、 その情報だけが引き継がれています。しかし、DNAには人体の設計図は記載されていても、 個体に関する記憶は海馬に蓄積されているというのが定説なので、意識や心がDNAにあると いう科学者は皆無です。(個体ではなく集合体としての長期記憶がDNAに刻まれるという仮説はあります)

こう見ていくと、身体・心臓・脳・DNAなどを構成する物質(細胞・分子)ではなく、 脳にある記憶や意識といった情報そのものが自我の正体のように思えてきます。 これに近い概念として、非物質の魂とか霊魂などが本当の「私」なのではないか?という観方もあります。 近年のスピリチュアルブームでは、その側面が大きく取り上げられていますが、 科学とスピリチュアルの両方に共通する要素は“情報や魂など物質ではないもの”が 意識や心の正体であるとしている点です。 ここではこれまでの科学が解明してきた歴史を振り返りながら、その根底に横たわる ひとつの共通項について示唆したいと思います。

科学の解明してきた事実

天動説→地動説
「人間」に対するイメージが一番大きく変化したポイントとして、絶対に外せないのが天動説から地動説への変化です。 もしあなたの知り合いに「この世界は私を中心に回っている」と主張する人が居たら、どう思われるでしょうか? 現代では、真剣にそんなことを言う人は減りましたが、数百年前までは地球上の人類すべてが「この宇宙は 我々の地球を中心に回っている」と信じていました(というか、彼らにとってはそれが事実でした)。

ところが、地球が太陽の周りを回っていることが明らかになったとき、当時の人々の感覚からすれば 「自分が映画の主人公だと思っていたのに、いきなり脇役に降ろされた」以上のショックだったと思います。

眼で見たら、どう見たって地面は動いてなくて、太陽が動いているようにしか見えないんです。 どう見ても自分たちの大地を中心に星が回っているようにしか見えないのに、地球が太陽を 中心に回っていて、その太陽も銀河系の中では田舎の方に位置していて、その銀河も 宇宙の中では数千億分の1の存在でしかないとなると、相当世界観がひっくり返ったのではないでしょうか。

ダーヴィンの進化論
そして、人間は「神の子」だと思っていたのに、ダーヴィンの進化論で人間は「特別なサル」だという ことになってしまったときには、これまた欧米人達のプライドはかなり傷付けられたことと思います。 人間とは、神が自らに似せて作った存在ではなく、サルが偶然進化してできたホモ・サピエンスであるという概念は、 当時の人々にしてみれば、自分の両親から「実はあなたは捨て子だったのよ」と告白されるよりもショックな概念だったのだろうと想像できます。

DNA2重螺旋構造の発見
それでも「人の命は尊い」と考え「人の命は地球より重い」などと言われていたのが、 ワトソンとクリックのDNA2重螺旋構造の発見によって、生命は「プログラミング可能な存在」になってしまいました。 私たちが普段口にする食品にも遺伝子組み換え大豆が使われる時代になり、米国では遺伝子組み換え動物の販売まで 開始されました。倫理的な問題はありますが、自分の好きなようにデザインした子供:デザイナー・チャイルドを 創ろうという試みまで進んでおり、生命が実際にプログラミングされる時代に我々は暮らしています。

脳神経生理学の進歩
仮にこの肉体がプログラミング可能なものだとしても、私は意識のある存在で この自由意志までは奪えないだろう、という考えが主流だった20世紀には、 脳科学や神経生理学の進歩によって実にいろいろなことが解明されてきたのですが、 リベットの実験を機に「意思決定をしているのは意識ではなく、無意識である」ことが明らかになりました。 この身体を車に例えれば「ドライバーは自分(意識)だと思っていたのに、実は自分は助手席に座って いるだけの存在だった」ことが明らかになったようなもので、これも相当な議論を巻き起こしています。

量子力学の不確定性原理
これに加えて「目に見えて、触れることのできる、自分の目の前の存在は存在している」ということに 関しても、「すべては錯覚である」ということを神経生理学や量子力学で言われる時代となりました。 五感覚で認識している存在は、すべてが錯覚であり、認識する主体(あなた)が居るから存在するように 思えるのだという概念もまた、人生が無意味であるように思える虚無主義へと行きやすい性質を含んでいます。

共通すること
「人間とは何なのか」を追い求めてきた過程が科学の歴史そのものであると言うこともできるのでしょうが、 上述したような21世紀までの科学の進歩に共通していることは「自然の摂理が解明される度に、人間の尊厳性が覆されている」という事実です。 主人公から脇役へ追いやられ、神の子から特別なサルに降格し、尊いはずの命もプログラミング可能なことに気付き、 意志決定の座を無意識へと譲り渡し、存在すら否定される現代。確信できるものなど何一つないことが自明となりながら、 それでもまだ知らぬフリをして生きている我々は、どれほど無知な存在なのでしょうか。

この流れでいけば、次に発見される新事実は、我々が最も否定されたくないものが否定され、ひっくり返されるような事実かも知れません。 それこそ「自分=人間」であるというイメージが。

実際、最近になって発見された新事実は、まさにこの人間に対するイメージを地動説以上のインパクトで覆すものでした。 まさに「人間の再定義」を求める内容です。

未来学者のアルビン・トフラーも『富の未来』で「いまでは生と死、人間と人間以外といった言葉の意味すら 変わる時期に来ているのかもしれない」と述べていますが、この「人間に対するイメージ」を古いイメージから 新しいイメージへ変化させることが、今最も必要なことだと感じています。

アイデンティティーから個人個人の考え・感情・言葉・行動が生じ、それらが良い結果も摩擦・衝突・葛藤をも 生んでいる現在、アイデンティティーの根底にある「自分=人間」であるというイメージを変化することが、 個人のみならず社会全体が変化できる鍵になるのではないでしょうか。

次章では新しく発見された「人間」のイメージについて詳しく観ていきたいと思います。


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